フルトヴェングラー
フルトヴェングラーってご存知でしょうか。
彼は、1886年にドイツのベルリンで生まれた指揮者、作曲家で、かの有名なベルリン・フィルの常任指揮者を務めた人物です。
彼の後任は、カラヤンなんですね~。豪華。
そんな彼が最近気になり、この本と出会いました。
「フルトヴェングラーとの語らい~音楽に真向かうということ~」著:仙北谷晃一
最近、ピアノに向かう時間が少なくなった自分にとってこの、「音楽に真向かうということ」という言葉にグサリときました。
この本で印象に残ったのは、カラヤンとの違い。
「カラヤンは自己中心的でその音楽は外から飾った音楽、化粧の美だったと。(そこまで言わなくても…笑)対してフルトヴェングラーには深さへの意志、内面の美がある。」
さらに本文はこう続く。
「第二にカラヤンはメディアを動員した音楽の大衆化に熱心だった。フルトヴェングラーに迎合できず、それを批判し続けました。」
うーん、なるほどね。
これ、クラシックにおいての永遠の問題じゃないのかな。
色々な音楽ジャンルがあり、さらに電子機器がほぼ全員に普及しているこの時代に、クラシック音楽を届けるには、メディア進出は避けられないと思う。
もっというと、クラシック音楽というより、「誰が」弾いているかが重要になってしまっている。
それはさておき、クラシック音楽を知ってもらうには、メディアは避けて通れない手段だと思う。
音楽だけでは食べていけないこの時代に、それでも楽器と共に生きたいのです、というひとは、よほどの技術やスター性があるか、バケモノのような音楽歴、人望、見た目(必ずしも美男美女とはいっていない)などを兼ね備えた人物でないと生きていけない。
そういうスターがメディアに出る→クラシック音楽が広まる→この人のコンサートにいってみよう→クラシック音楽って素敵ね
・・・という感じで、メディアを通るとこの流れができるのである。
ただ、忘れてはいけないのは、この演奏は「メディア向き」の音楽であるかもしれないということ。
売れるためには、自分の好きな曲、専門曲や研究曲は封印しなきゃならない。
やはり聴衆のニーズは、知っている曲、派手なパフォーマンスなのだ。
だから、ぜひ、クラシックが好きになったら、深い曲を聴いてほしい。そして、そのピアニストの研究している曲を知ってほしい。
派手なパフォーマンスの和音が多すぎなラ〇マとかプ〇コとか有名な曲もいいけど、たまにはバッハやモーツァルト、ベートーヴェン、ショパンなどのマイナーだけど素晴らしい曲たちも知ってほしい。
そんなことを思いながら、この本を読みました。
今私は、ベートーヴェンを取り組んでいます。
練習しなきゃ~。
大変だけど、音楽を勉強するってとても楽しいです。
次はなんの本読むかな~
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